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過去を悔やんで生きるよりも、未来を恐れて生きるよりも
今この瞬間に生きることが大切なのだというのはわかっている
しかし人類の歴史を知らずして、僕らは今を生きることはできない
捩じ曲げられた過去ではなく、真実の歴史を・・・
そのことを強く僕らに語りかける人たちがいる
今日世界で最も注目されている写真家、ジョセフ・クーデルカもその一人だろう
「プラハの春」と呼ばれた民主化勢力の台頭に対する反動として
1968年8月にワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアに軍事介入する
首都プラハへの侵攻と市民の抵抗、その一部始終を撮影したクーデルカの写真は
翌年に匿名のまま西側諸国へ配信される
「侵攻」より プラハ、チェコスロヴァキア(1968年)
この写真を撮影したことがきっかけで、クーデルカは故国を離れることになる
そしてヨーロッパ各地を訪ねながら撮影を重ね
それらは写真集「エグザイルズ」に纏められる
「エグザイルズ」より スペイン(1975年)
1980年代後半よりパノラマ・フォーマットによる作品「カオス」に取り組む
産業化によって荒廃した土地、地中海沿岸の古代ローマ遺跡群など
人間の営みと景観をめぐるその世界は、文明論的な奥行きを深めていく
「カオス」より ノール= パ= ド= カレー、フランス(1986年)
ウェールズ、イギリス(1997年)
YouTubeにもアップされていたので引っ張ってきた↓
写真を一枚一枚見ていると、すべてモノトーンだからなのだろうか?
だんだん夢の一場面でも見ているかのような感覚に襲われてくる
冷戦時代の東ヨーロッパ、自由を奪われた国
今の日本とは対照的な暗雲漂うその姿
しかし、痛々しさはまったく感じない
荒廃をテーマとする芸術には、どこか無味無臭的というか
感覚を麻痺させるようなものがあるのかもしれない
現実離れしたというか・・・
しかしここに写っているのは、まさしく現実なのだ
いや、超現実的というか・・・
僕はその土地を歩き、そこで息をして、そこで生活をしている
僕は写真に写っている人物になりきってしまう
夢の断片のように・・・
「ジプシーズ」より スロヴァキア、チェコスロヴァキア(1967年)
クーデルカが写し出しているのは、三角形の底辺のような人たちなのだろう
そこにこそ、その時代の真実が隠されていることを知っていたのだろう
もともとクーデルカが写真家として活動し始めたのは、劇場の撮影からだった
虚構世界の演劇を単なる記録としてではなく、抽象的な作品として取り組んでいた
これとほぼ同時期に取り組んだ「ジプシーズ」にも、演劇の要素が見受けられる
一般社会から離れて独自のコミュニティーの中で暮らすジプシーたち
彼らの存在は、クーデルカにとってはまさに劇場と同じ非日常の世界だった
写真に写るジプシーたちに、あまり惨めさというものは感じられない
むしろ屈託のないような笑顔を僕らに見せる
それに比べて、僕ら都会の人間の無感情(無表情)さ
僕らは“虚像の時代”の真っ只中で生きているのだ・・・
ジョセフ・クーデルカ展は東京国立近代美術館にて
2013年11月6日(水)から2014年1月13日(月・祝)まで催されている
クーデルカに触発されて、僕も秋の街並(皇居周辺)を写真に収めようと思った
『とある秋の日の光と影』と題して・・・
撮ってみないとわからないものだ
家に帰って写真を確認するまではあまり期待していなかったのだけれど
意外にもいい写真が何枚か撮れていた
この季節ならではの、光と影と屈折が実に面白い
↑の写真は、『光りのシャワーの中を走るランナー』とでも名付けようか?
道路に映る自分の影にアーティスティックなものを感じて撮ったのだけれど
どうだろうか?
この日はケネディ駐日大使の信任状奉呈式が皇居で行われていたので
沢山のヘリコプターが空から警備に当たっていた
↑の写真は、ひょっとしたらクリスタル・ベルかもしれないと思って
試しに撮ってみたら、偶然こんな感じに撮れていたというもの
でもこれは正真正銘クリスタル・ベルではなくて、警備のヘリ・・・w