今年もまた、青春18きっぷを使って鉄道ひとり旅をしてきた去年はまったく無計画な、本当に思いつくままの旅だったのだけれど
今年は明日の計画だけは練って行動するようにしていた(1日目を除いて)
だから去年よりは、青春18きっぷをだいぶ有効的に使えたと思う
カテゴリーやテーマを見てもわかる通り、今回もやはりミステリアスな旅となった
自分でもこれは
かなり凄いんじゃないかと思うような写真がいっぱい撮れた
まあ、それも見る人によりけりなのだけれど・・・
でも、今回は本当に凄いのだ
出発時、どこに行くかもまったく決めていなかった
とりあえず京成電車で上野まで出て、さてどちらの方角へ行くのかと自分に尋ねる
去年は東北だったので、今回は逆の関西の方向に行くことにした
スティーヴン・キングのランゴリアーズという本を持って・・・
家を出てきたのがだいぶ遅かったので、中央本線を乗り継いで
小淵沢に着いた頃には、もう13:40になっていた
14:09の松本行きまで30分近くあるので、ここでちょっと遅めの昼飯をとる
そして松本行きに乗って塩尻で下車
名古屋方面に行く電車を待つ
(塩尻駅ホームのブドウ棚)
ここ塩尻駅には、全国で唯一というホーム上のブドウ棚がある
収穫は10月だそうだが、もうこんなにも美しい緑色の房が垂れていた
(緑に輝くブドウの房)
塩尻で約1時間待ってから、16:05の中津川行きに乗る
中津川に着いたのが18:18
名古屋まであと少しだったが、無理せずここで1泊することにした
ホテルのベットで横になりながら
段々なんとなく今回の旅の目的がわかってきた(決まってきた)
翌朝、中津川から7:00発の名古屋行きに乗る
昨夜、目的地を伊勢神宮、そして出雲大社と決めていた
(今年はなんと言ったって、史上初のダブル式年遷宮
ある説では、天照大御神と須佐之男命の結婚式とも言われているのだが・・・)
名古屋からは8:37発快速「みえ」の鳥羽行きに乗る
河原田〜津間は伊勢鉄道を経由するので、青春18きっぷだけでは乗れない
途中、車掌さんに伊勢鉄道の部分の乗車券(490円)を支払う
さて、この頃から不思議な現象が空に現れ始める
↓の写真の雲が、最初はなんとなく行司の軍配団扇に見えていたのだけれど
いや、これは蝶を表しているのだということに気がついた
でもいったい誰が?
(蝶雲?)
いや、これは多義図形(ダブル・イメージ)なのかもしれないと思い始めた
(もしくはダブル・ミーニングとも言われるが)
たとえば、下↓の絵
アヒルにも見えるし、ウサギにも見える
(アヒルとウサギ、多義図形)
これをウサギだと思えば、アヒルは見えてこない
アヒルだと思えば、今度はウサギが見えなくなる
つまりなにに興味を抱いているかによって、見える物も違ってくるということ
この手法を使って描かれたのが、有名なダリの「地中海を見つめるガラ」↓
(ダリ、地中海を見つめるガラ)
後ろ姿のダリの
妻ガラの足近くにリンカーンの肖像、そしてその左上に指差すダリ空にはキリストの描写もある
遠くからこの絵を見れば、絵全体がリンカーンの肖像に見えてくる
やはりなにに意識を集中させているかよって、見え方もまったく違ってくる
(因みに、ダリは量子力学や遺伝子学をモチーフにした作品も多く制作している)
10:16に伊勢市駅に着く
駅のホームに、空に描かれていた絵の問いの答えがあった
大きくて綺麗なアゲハチョウが、まるで標本でも見ているかのように羽を広げて
ホームのコンクリートの上に止まってまったく動かないでいる
生きているのか死んでいるのかもわからない
これもきっとなにかのメッセージに違いなかった
蝶は古来より、あの世とこの世をつなぐ生き物とされてきた
(キリスト教では、「復活」を意味している)
これから僕は、伊勢神宮に御参りに行く
これはまた、なんという象徴性(徴、しるし)なのだろうか・・・
伊勢神宮は外宮と内宮があり、まず外宮から参拝するのが古来からの習わしという
外宮は伊勢市駅から歩いて7分ほど
外宮の御祭神は富受大御神で、天照大御神のお食事を司る神様として奉られている
お米や衣食住の恵みを与えて下さる産業の守護神だそうだ
(伊勢神宮外宮、正宮)
(式年遷宮、造営工事について)
そして内宮に御参りした
外宮から内宮まで約3,9キロ離れていて、バスで約30分掛かった
内宮の御祭神は、国家の最高神とされている天照大御神
しかし僕は天照大御神の参拝の他に、もうひとつ興味のあることがあった
それは内宮の別宮、天照大御神の荒魂とも呼ばれている
荒祭宮に奉られている瀬織津姫(せおりつひめ)のことだ
僕は瀬織津姫のことを、東北地方に縄文時代から続いている
アラハバキ信仰について調べていて知った
(伊勢神宮内宮の入り口付近)
柳田國男の遠野物語に出てくるオシラサマとは、実は瀬織津姫のことらしい
「大昔に女神あり」と記されている東北地方の女神の荒魂が
そして「古事記」にも「日本書紀」にも記されることのなかった神様が
なぜ伊勢神宮の別宮に奉られているのか?
実はヲシテ文献のホツマツタエでは、天照大御神は男神と記されている
そして天照大御神の妻は、なんとあの瀬織津姫と記されているのだ
「古事記」や「日本書紀」は、天武天皇によって発案され
持統天皇の頃に纏められたとされている
権力者にとって、自己の正当性を人民に知らしめるためには
自前の神を浸透させることが最も重要なことだった
2つの書物によって天皇の正当性が確立された訳だが、それと同時に
沢山の神々が消されてしまったのだろう
女帝である持統天皇は、天照大御神を男神から女神にすり替えてしまった
それによって、瀬織津姫は絶対に存在してはならない神様となった
それは民衆の怒りとなり、鬼女のような祟り神の姿となって表されるようになった
もちろん、そのように表しているのは体制側だ
民衆側から見れば、瀬織津姫はまさに美しき頼れる守り神なのだ
これも一種の多義図形(ダブル・イメージ)と言えるかもしれない
(宇治橋の木除杭と擬宝珠)
(五十鈴川の御手洗場)
彦星と織り姫やひな祭り
実はこれらは、形を変えた瀬織津姫信仰なのかもしれない
朝廷から禁止されていた信仰を、民衆は名前を変えてこっそりとお祭りをしていた
瀬織津姫は今でも祓戸の大神、そして水の神様として
姿を変え形を変えながら日本人に愛され続け、そして今も息づいているのだ
(伊勢神宮内宮の参道)
(伊勢神宮内宮、正宮の前)
もちろん、そんなことを考えながら参拝していたら天照大御神様に申し訳ない
清い心を持って、有り難い気持ちで参拝しようと思っていた
本当に“お導きください”という気持ちだけだった
なんだか、女神様に参拝しに来ているのか?男神様に参拝しに来ているのか?
わからなくなってきた
しかし、段々そんなことはどうでもよくなってきた
参道を歩いている内に、なんだかジンジンと身体に電気が走り始めたもの凄いパワーを感じずにはいられなかった
空に、クリスタル・ベルが飛んでいた
実に久しぶりに、僕の頭上に姿を現した
写真を撮ろうとすると、いつもすぐに消えてしまうから
“消えないで”と願いつつ写真に収めた
(伊勢神宮内宮参道に姿を現したクリスタル・ベル)
そして僕はこれから先も、さらに奇妙な体験をしていくこととなるのだ
鉄道ひとり旅 2013 part2へと続く<<<