昨日のブログの中で、「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」
という親鸞の言葉を取り上げましたが、読んだ方が誤解をしているかもしれないので
もうちょっと説明を付け加えます
これは飽く迄、僕の解釈なんですが
ここで言う善人とは、自分を善人だと思っている人
悪人とは、自分を悪人だと思っている人の事を指しています
人は必要悪を無くしては生きられません
まず、食べるという事
食べるには、生きてるモノを殺さなくてはなりません
子供を作るには、性交渉をしなくてはなりません
それらは悪ではないと思う方もいると思われますが
ここでは歴きとした悪として捉えてます
従って、この世に本当の善人など存在しないという解釈です
今日(大晦日)、百八つの鐘を聞くじゃないですか〜
僕らが無神論者であっても、そういう事に否応無しに深く関わって生きているんです
これ以上の悪はなるべくしないようにしようと思う事
そして、なるべく人助けはしようと思って生きる事が大切なんだと思うんです
キリスト(キリストが人間だったとして)やお釈迦様
ガンジーやマザー・テレサなど、我々凡人が足下にも及ばない人達の事ですが
我々凡人にはとても出来そうにない事
つまり、自分を犠牲にして多くの人々を助けた人達だからこそ
神の様な存在になっているんだと思うんですが
しかし、決して自分は善人だとは思っていなかった筈です
近くに苦しんでいる人がいて、それを見過ごす事が出来ない
助けなければならないという思いが自然と湧いてきて
そういう思いが奇跡を起こした
僕はそう考えています
しかし、99%以上の人間はそんな奇跡なんて起こせない
つまり、殆どの人間が罪を背負った悪人だと考えるべきなんです
少なくとも、僕らは競争して生きてます
誰かを蹴落とさなければ、生き残れません
高校や大学の受験もそうだし、商売もそう
貧乏より金持ちの方が良いに決まってる
誰しも幸せになりたいと思っている筈
しかし、自分が受かって、同時に落ちて不幸になっている人の事も
忘れてはいけないという事です
世界全体を見渡せば、明日の食事も困ってしまう様な人がどれ程いるでしょうか
だからこそ、罪を背負って生きている事を自覚し
今生きている事に感謝して
奢らず、謙虚で健気な姿勢でいる事が大切なんだと思うんです
因みに、僕は宗教というものが大嫌いです
自然の中に神が宿ると思っています
そして、人間も自然の一部だと思っています
という事で、あと数時間で年越しですね
是非、生かされている事に感謝しながら、初詣にお出かけ下さい
それでは、良いお年を!