ココ(我が家の猫)も僕の膝に座って一緒に眺めていた家の庭を眺めているだけで、もう今年の花見をし終えたような満足感に浸れる
今年も一昨年と昨年に引き続いて寒春気味だったけれども
この所の陽気は、本格的な桜のシーズンももうそこまで来ていることを告げている
「春はあけぼの
やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて
紫だちたる雲の細くたなびきたる」(枕草子)
このような景色に出会いたくて、旅に出たくなる
そういえば、ココのことをあまり記事にしていなかった
以前に飼っていた猫が、まだ1才だというのに行方不明になってしまったから
だから今度は大事に育てたいという思いもあって、記事にはしたくなかった
前の猫がオッドアイの珍しい猫で、僕の記事を読んだり写真を見たりして
誰かが可愛いくて連れて行ったのかもしれないと思ってしまうのだ
記事と関係なんてないのかもしれないが、関係あるのかもしれない
だから、今はココの写真は記事に載せたくはない
いずれ気が向いたら、載せようとは思ってはいるのだけれども
ところで、そのココもまた実に不思議な猫なのだ
雑種の三毛猫で、西洋のどこかの種でも混じっているらしく
毛が長くて胴長なのだ
ココのお気に入りは僕の肩で、気を許すと半日でも僕の肩に乗っている
猫背の僕の肩は、ココも乗り心地がいいのだろう
僕の右肩に後足が乗っているのに、左肩に前足が乗せられるという胴の長さだ
僕の左のほっぺにココの右のほっぺがくっ付くと、毛が長いからこれが気持ちいい
これぞ猫のマフラーだ
冬は暖かいが、夏はどうなることやらだが
驚くのはそれだけではない
ココを見ていると、猫の犬化をつくづく感じてしまう
ボールは流石に無理だが、猫じゃらしを遠くに放り投げるとくわえて持ってくる
走り出すと後ろからついて来て、止まるとジャンプをして僕の膝の辺りにタッチ
そして僕を追い抜いて、進行方向のその先まで走って行く
極めつけは、僕が椅子に座っていると膝に上がって来て、前足を僕の胸に置いて
口の周りをペロペロとなめるのだが、舌が櫛状になっているから、これまた痛い
僕が痛がるからか、最近は顎を頭ですりすりするだけになってきた
その仕草は、まるで犬だ
だからニャーって鳴いたらワンって返してやるのだ
ワンって鳴いたらテレビに出られるよって・・・
でもやっぱり猫だなぁと思うこともある
とにかく魚には目がない
夕食の魚を焼いている時の騒ぎようは大変だが、観賞魚でも震えが止まらなくなる
デボラちゃん(クレナイニセスズメ)は本当に頭がいい魚で
ココが水槽に近づいても、平気な顔をして近づいてくる
ガラス越しだから安全だとわかっているのかもしれない
一方ココの方は大変で、ニャーニャーと鳴きながら必死に手で掴もうとする
「友達だよ!家族だよ!」と言っても全く通用しない
昨日、ココが僕の肩からジャンプして水槽のガラスに体当たりした
ココの身体能力の高さには凄いものがあるのだけれど、流石にその時は心配した
だけど、ニャーニャーと鳴きながら再度飛びかかろうとしていたので安心した
逆に心配になったのが、平気な顔をして泳いでいたお魚たち
どうやら僕が水槽を強く叩いたと思ったらしく、僕が近づくと逃げるようになった
ココが近づいても逃げないのに・・・僕は無実だ!
それにしてもだ
これほど人の言うことをよく聞く猫も少ないと思うのだ
動物愛護団体の方が生まれて間もないココを保護して
昨年の12月に譲ってもらったのだけれど(この頃は生後1〜2ヶ月?)
その時にはもう家猫用に教育されているかのようだった
家に来てから一度も粗相をしたことがない
獣医さんが注射を打つ時も本当におとなしい
外に出たくて騒ぐこともない
実は家に来たばかりの頃のココは、実に野性味溢れた厳しい顔をしていた
顔全体が黒っぽくて目がもの凄く大きいから
あたかもメガネザルかどこかの何とかというオオコオモリといった感じだった
(ビントロングっていう動物にもちょっと似ている)
それはそれはとても可愛いとは思えない様相だった
その上、何が気に入らないのか、抱いていると時々手とかを噛み付いてくる
その度に僕はココの目を見て怒った
その時のココの鋭い目つきは震え上がるほどだった
(今考えると、実は僕はその鋭さに魅了されていたのかもしれないが)
それでも僕はココを、心の底から可愛いと思っていた
生まれたばかりなのに捨てられて、その後で優しい人に拾われたけれど
里親探しなどで色々な人の手に渡って行って、とても可哀想だと思ったのだ
その気持ちが、信じられないことにココに伝わったのだ
それを思った瞬間に、ゴロゴロと喉を鳴らし頭ですりすりが始まるのだ
ココが察知の能力のある猫であることには間違いなかった
徐々に人の嫌がることをしなくなり、優しくなっていった
顔も柔和になり、性格や仕草もまるで犬の様になった
横顔が「借りぐらしのアリエッティ」に出てくる猫に、何だかとても似ている
ひょっとしたら小人とお話でもしているかもしれない
眉毛の部分が茶色くちょんちょんとなっていて、口の辺りが白くて
顔の横の毛がちょっと長いから、何だか最近レッサーパンダにも思えてきた
尾っぽも長くて縞々だし・・・この可愛らしさったらない
(レッサーパンダの眉毛の部分は白だけれど)
さて、今日載せる音楽だけれども、、、困った
猫に関係した音楽が思いつかない
ショパンの「猫のワルツ」なんて載せてもしょうがないし
エリック・サティの「猫の歌」なんて1分にも満たない曲
ストラヴィンスキーのマイナーな作品で「猫の子守唄」とか
「ふくろうと子猫ちゃん」なんて12音技法の作品もあったが
よく知らないしあまり好きになれない
猫といえばどうしても、“おとぎ話を題材とした童話バレエ型”になってしまう
“童話バレエ型”には違いないが、「子供と魔法」という
ラヴェルにはとっても珍しいオペラ作品があって、これが意外と面白かった
オペラといっても、舞台に立つのはバレエダンサーだけだから
ほとんどバレエ音楽なのだが・・・これを載せることにする
勉強をしないで母親から叱られた子供が不平不満を漏らし
「僕はとっても意地悪なんだ!」と言って、ポットやカップを叩き割り
ペットのリスを虐めたり、雄猫の尻尾を引っ張って八つ当たりを始める
悪戯に飽きた子供はソファーに座ろうとすると、ソファーが突然動き出し
安楽椅子に「ダンスのお相手をどうぞ」と声を掛け
「これであの乱暴な子供をやっと追い払いました」と歌いながらダンスを踊り始め
他の道具たちもこれに加わり、子供から受けた苦しみを歌う
・・・陽が沈み、子供が暖炉に近づくと「いい子には暖めてあげるけど
悪い子には焼き殺すよ」と火が子供を追いかけ回し、そして灰と戯れる
「こわいよ」と子供は呟く・・・
物語はちょっとホラーじみていて「不思議なマンダリン」を彷彿とさせる
初演が1925年だから、この頃はそういうのが流行っていたのだろう
流石に音楽はバルトークとは違うが・・・
そういえば、こんな日本の妖怪話を思い出した
妖怪研究35年の湯本豪一さんのお話
「ある農家に1匹の猫が住み着いた。
そこのお百姓さんの息子が寝ていると、上に乗ったりしている。
そうするといつもうなされたり、変な夢を見たりする。
気味が悪いので猫を捕まえ藪に捨てることにした。
捨てに行って帰ろうとしたとき、何気なく振り向いたら
この猫が犬よりも大きくなって、この人を食い殺してしまった。」
人に捨てられた恨みで妖怪になった化け猫のお話
昔も今も、生き物を大事にしないと化けて出るという話は尽きない
そういえばココも捨てられた身の上だったっけ
人間の身勝手さで捨てられる犬猫の数は、未だに年間25万頭以上にものぼる
捨てた人間の身におとぎ話や妖怪話の様なことが起きる筈はないが
「起きてしまえ〜!」と叫びたくなってしまうのは、僕だけだろうか?